樹種編 「楷の木」

【湯島聖堂の楷の木】

【湯島聖堂の楷の木】

皆さんは「楷の木(カイノキ)」ってご存じですか。
「楷」は楷書の「楷」です。ウィキペディアによると、直角に枝分かれすることや小葉がきれいに揃っていることから、楷書にちなんで名付けられたとあります。
中国の山東省曲阜にある孔子の墓所「孔林」に弟子の子貢が植えたこの木が代々植え継がれていることに由来し、各地の孔子廟にも植えられているそうです。孔子と縁が深く、科挙の進士に合格したものに楷の笏を送ったことから、学問の聖木とされています。日本でも湯島聖堂をはじめ、孔子とゆかりの深い建物に植樹されています。植物学の泰斗である牧野富太郎博士は「孔子木」と命名されました。

学名はPistacia chinensis。ウルシ科カイノキ属の落葉高木で、同じウルシ科のピスタチオとは同属で近縁です。ピスタチオは皆さんよく知っていますね。夏には大きな木陰を提供し、秋には美しく紅葉することから、街路樹、公園樹などに用いられます。若葉には特異な芳香があり、茶の代用にされるほか、野菜としても食用にされるそうです。材質は堅く、心材は鮮黄色で木目が美しく、家具材、船材、杖、碁盤などに用いられるようです。種子は半分近くが油からなっています。

お茶の水にある湯島聖堂で、中国から種子を持ち寄り植えられた楷の木を見てきました。お茶の水界隈には、江戸時代の官学の中心で孔子を祀った昌平坂学問所湯島聖堂、江戸総鎮守の神田明神(神田神社)、日本ハリストス正教会のニコライ堂と、いずれも徒歩圏にあります。今回訪問した湯島聖堂に関する公式URLは下記をご参照ください。
http://www.seido.or.jp/yushima.html

【湯島聖堂の大成殿】

【湯島聖堂の大成殿】

大阪大学の資料に「楷の木」の歴史をわかりやすくまとめていますので引用します。
「日本における楷の木は、農商務省林業試験場の初代場長であった白沢保美博士が中国を訪れ、孔子の墓所から「楷の木」の種を採取し、大正4年(1915年)に播種、育苗されたのが始まりです。その後、日本国内の孔子や儒学にゆかりのある湯島聖堂、足利学校、閑谷学校、多久聖廟などに寄贈されたのが最初です。

儒学の祖、孔子(紀元前552~479)は、山東省曲阜の泗水のほとりに埋葬され、門人たちは3年間の喪に服した後、墓所のまわりに中国全土から集めた美しい木々を植えました。今も残る70万坪(200ha)の孔林です。孔子十哲と称された弟子の中で最も師を尊敬してやまなかった子貢(しこう)は、さらに3年、小さな庵にとどまって塚をつくり、楷の木を植えてその地を離れました。この楷の木が世代を超えて受け継がれ、育った大樹は、子貢手植えの楷として今も孔子の墓所に、強く美しい姿をとどめています。

その後、「楷の木」は科挙(中国の隋の時代から清の時代までの官僚登用試験)の合格祈願木となり、歴代の文人が自宅に「楷の木」を植えたことから『学問の木』とも言われるようになりました。合格祈願木とされたのは、科挙の合格者に楷で作った笏(こつ)を与えて名誉を称えたからだと考えられています。また、その杖は「楷杖」として暴を戒めるために用いたとされます。楷は中国では模範の木とされており、楷書の語源とされます。また、儒学の精神を体現するシンボリックな樹種です」(抜粋)。

楷の木が日本に初めて移入されたのは、大正4年(1915年)です。当時、農商務省林業試験場の初代場長であった白沢保美博士が中国を訪れ、孔子の墓所から「楷の木」の種を採取し、播種、育苗されました。その後、湯島聖堂をはじめ、日本国内の孔子や儒学にゆかりのある様々な施設に植樹されました。

楷の木は、イチョウと同様、雌株、雄株の区別があります。実をつけるまでに20年もかかり、それまでは雌雄の区別がまったくつきません。雌株と雄株をあまり離して植えてしまうと交配できず、実がつきません。樹齢は700年にも達し、樹高は30㍍になります。

楷の木が様々な建築用材として使われることは現段階では考えにくいところですが、産地である中国から各種用材として出荷されることはありそうです。これから夏に向かい、湯島聖堂の楷の木もたくさんの葉をつけ、秋になると見事な紅葉や果実を楽しむことができると思います。お茶の水界隈を訪れた際にはぜひ湯島聖堂の楷の木をご覧になってください。

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