東洋大学名誉教授 竹村 牧男
第六回 貴重な木造寺院建築の文化財
【日光東照宮 杉並木】
日本の多くの神社仏閣は木造建築である。仏像とあわせて、木材がどれほど日本の文化・芸術に貢献しているか、計り知れないものがある。もちろん、その建造技術は貴族や武家の館、やがては一般の民家等にも応用されていって、人々の生活を支えていったことであろう。
神社建築の代表としては、極めて対照的ではあるが、伊勢神宮と東照宮があげられるかと思う。この二つは、白木のすがすがしい美と、精妙・多彩な装飾の豊潤な美とを示している。それは、弥生文化と縄文文化とになぞらえられるであろうか。日本文化には、その全般において、基本的にこの二種類の美意識の流れがあって、しかも時に交差しているのを見ることができよう。
一方、仏教寺院に関しては、まず世界最古の木造建築として法隆寺がある。奈良時代の建物が、今にその勇姿をとどめていることは、木造寺院が往々にして火災により無に帰することが多い中で、実に貴重な存在である。法隆寺の金堂をめぐっては、非再建説と再建説とがあって論争が交わされたが、今は7世紀末の再建説が定着しているようである。この金堂は実に千三百年以上の命脈を保っており、それは千年経ってもますます強靭な桧材によるからという。木造だからこそ、千年、二千年の長期の存続に耐えられているのである。
一方、世界最大(容積)の木造建築は、東大寺の大仏殿である。残念ながら現在の大仏殿は、江戸時代のもので、綱吉の母・桂昌院らが資金援助して建てられた。当初の大仏殿は、奥行き50m余、高さ49m弱で、これは現在のものも同様であるが、間口だけは当初が約86m、現在のものが57mほどで、やや縮約されたものとなった。資力の限界によるものらしい。柱も当時もはや十分な巨木を調達できず、一種の集成材方式で作られている。実は現代においては外国にこれを上回る大きな木造建造物もあるようであるが、古代にこのような巨大な木造建築が作られていることは、我々日本人の誇りとしてよいであろう。
【東大寺】
驚くべきことは、当初、その広大な大仏殿の両脇に、高さ百mを超える七重の塔が建立されていたことである。当時の日本人の気宇の、途方もない大きさが偲ばれる。実際、南大門を見ても、その高さは圧倒的で、日本人のふつうの空間感覚を遥かに超えたものである。ともあれ、かつてのその七重の塔を、全国の善男・善女に勧進して、再建することは出来ないものであろうか。
ちなみに、最大の床面積を誇る木造建築は、東本願寺の御影堂(宗祖・親鸞聖人をお祀りする施設)であるとされ、畳927枚の大きさで3000人は収容できるという。もちろん、京都の西本願寺の御影堂も相当大きな建物である。また、こうした大きな寺院建築のほとんどは奈良・京都にあるが、例外的に三重県の津市一身田にある真宗高田派の本山・専修寺の御影堂は、畳780枚が敷かれ、その大きさは全国の国宝木造建築の中の五位であるとのことである。これら真宗各派の本山の御影堂の建立には、門徒(真宗の信者)の布施(献金)が大きな力となっていよう。真宗という仏教の底力を見る思いである。
【東本願寺御影堂】
仏教寺院の伽藍の多くは、どちらかと言えば大地に沿って横に広がる形だが、その屋根のカーブには、えも言われるぬ美しさがあり、実に優雅なものである。そうした中で天に向かってそそり立つのが、五重の塔などの塔である。塔とは、卒塔婆、つまりストゥーパのことで、本来、釈尊の遺骨(舎利)をお祀りする施設のことである。インドや東南アジアでは石やレンガで作られた、ドーム状のものが多いが、中国・日本に来て木材で作られるうちに、今、われわれが目にするような優美な形になった。
京都では、醍醐寺の五重塔が最も古いらしい。それはこの五重の塔だけが、応仁の乱の際に焼け落ちなかったからである。京都の五重の塔と言えば、おそらくただちに新幹線の京都駅から見える東寺の五重の塔が想起されようが、その建立は江戸時代であり、高さ約55mと五重の塔の中でも最高の高さを誇るものの、必ずしも古いものではない。
【醍醐寺】
これに対し薬師寺の東塔は、平城京遷都の頃の創建以来の古建築である。この薬師寺の三重の塔は、各階、屋根が二重になっていて、リズミカルで非常に美しいものである。フェノロサがこれを「凍れる音楽」と評したと伝えられているが、近年、実際は黒田鵬心なる者が言ったことであったと明かされている。なお、この東塔は平成21年に全面解体修理に入り、令和3年2月にその修理が完成している。
薬師寺では、『般若心経』の写経を勧めて資金を集め、次々と伽藍を整備し、今では東塔と並び立つ西塔をも昭和56年に完成させている。その姿は東塔より少し高く見受けるが、それは数百年後には沈むことを計算してのことと言う。現代の宮大工も、悠久の未来を見すえているのであった。
【薬師寺】
日本の五重の塔は、内部の真ん中にてっぺんから「心柱」が通貫していて、それはかすかに地に接せず、建物の揺れを吸収するのだという。これは地震国日本において不可欠な技術であり、大変な智慧である。この原理は、現代の超高層建築物であるスカイツリーに応用されたことは、当時、報道されたこともあったので知っている人も多いであろう。
大体において寺院建築は、可能な限り長期に持続して存在し続けることを目指している。こうした寺院建築に携わる大工職人等の持続可能性もぜひ確保されるべきであろう。実は聖徳太子創建の四天王寺では、お抱えの宮大工集団である「金剛組」がなんと6世紀末以来、今に存続しているという(今は株式会社)。この事実は、実に貴重な無形文化財の世界遺産と見るべきことである。このほか、今なお多少の宮大工集団がいて、新築を請け負ったり、補修を請け負ったりして、壮麗な神社・仏閣建立の技術を伝承していることであろう。
【四天王寺】
その伝統が消えなければ、いずれ令和の新たな大寺院の建立といったこともありうるのかもしれない。しかし大きなお堂の建築に耐えうる木材の調達は、環境問題のこともあって、もはや非常に難しい問題となってきているに違いない。伊勢神宮には御用林があるようであるが、仏教界も共同で、千年、二千年後の寺院建築のための用材を育成する森林を整備・管理すべきなのかもしれない。そういう事情もあることからすれば、我が国の歴史的な古くて大きな美しい木造の寺院建築物は、今後ますますその価値を高めていくことであろう。
執筆者のご紹介
1948年東京都出身。1975年、東京大学大学院(印度哲学)博士課程中退。その後、文化庁宗務課専門職員、三重大学人文学部助教授、筑波大学助教授(哲学・思想学系)、同教授を歴任。2002年に東洋大学文学部教授に転じ、2009年9月、東洋大学学長に就任、2020年3月末に退職。専門領域は仏教学、宗教哲学。唯識思想で博士〔文学〕。筑波大学名誉教授、東洋大学名誉教授。主な著作に、『入門 哲学としての仏教』、『ブッディスト・エコロジー』、『空海の哲学』、『唯識・華厳・空海・西田』、ほか多数。
(2021年10月1日現在)