仏教と樹木のいのち 第5回「木造の仏像に思う」


東洋大学名誉教授 竹村 牧男

第五回 木造の仏像に思う

仏像にはまる女子も少なくないという。仏像ガールというのであろうか。彼女らは、お気に入りの仏像の前で見れども飽かず、長時間ずうっと対座しているという。イケメンの極致のうえに、穏やかに微笑みを湛えた仏像は、確かに深く心を癒してくれるであろう。

仏像はだいたい金属(銅など)、石、木、陶器などから造られているが、日本の仏像は木造が圧倒的に多いらしい。日本人には、木の素材による仏像にこそ、もっとも親しみがもてるのではないだろうか。無機物ではなく、有機物である木製の仏像には、どこかぬくもりがあり、実際に仏の心を宿しているとさえ感じられる。

仏像の中には、生木(立木)に彫られたものもあった。姫路の書写山は、西の比叡山と謳われた古刹であり、性空が開山である。性空は書写山入山間もない天禄元年(970)、摩尼殿のある急な崖のところに大きな桜の木がはえていて、ある日、天人がその木のところに降り立って、「稽首す、生木の如意輪に。よく有情の福・寿の願を満たし、また極楽に往生せん願を満たす。……」と歌って礼拝しているのに出会った。
そこで性空は枝をはらい、その生木の太い幹に、弟子の安鎮に命じて如意輪観音菩薩像を彫らせ、やがてそれをお祀りする如意堂を建立したという。像の高さは、1尺5寸と伝える。このとき、美しい鳥が集まってお祝いの鳴き声を発し、お堂の下には清泉が湧出して、病気の者がこれを飲むと治ったという。

また、木による仏像の一例に、円空仏がある。一般の仏像と異なって、荒々しいのみの跡が残り、鋭い線による造形の中に、仏の慈悲の心を表現している。一遍同様、円空も旅に生きた僧で、庶民救済のために仏像を彫っては人々に授与したのであろう。生涯に12万体の仏像作成を本願とし、大きいものは2メートルを超す大作もあって、現在、全国に5千体ほど残っているという。


【摩尼殿】

一木造りで最大のものは、奈良長谷寺の十一面観音であろう。寺伝では、近江国高島郡の岬に漂着した大木を、徳道上人が、聖武天皇の勅を奉じて、727年、十一面観音像を造ったという。大きさは、二丈六尺(約8,6メートル)もあったという。しかし、その後、度重なる火災の中で作り直され、現在の観音像は室町時代(1538年)に造られたもので、高さが10メートル18センチある木造では日本最大の仏像である。

なお、別の伝承に、徳道上人は、一本の霊木から二体の観音像を造り、一体は長谷にお祀りし、もう一体は、ご縁のある土地を求めて海に流した。それは712年のことといい、その後、海を漂流して15年後、相模に流れ着いた。この観音像を祀るのが、鎌倉の長谷観音だという。こちらの観音像の高さは、9,18メートルというから、やはり木造としては巨大な仏像である。

これらの観音像は、錫杖を持つ立像であることに、独自の特徴がある。すなわち地蔵菩薩と共通の要素を有しているわけである。地獄の衆生も救い取るという、同じ霊験がこの観音には期待されてくるのではないだろうか。このような像を「長谷寺式十一面観音」とも「長谷型観音」とも言うようである。

今、最大の木造の仏像を紹介したが、今度は、陳列されていて最多と思われる木造の仏像を紹介してみたい。それは、京都・蓮華王院すなわち三十三間堂の、千体千手観音像である。お堂は、当初、後白川上皇の御所内に、平清盛が資材協力して建立されたものという。その後、このお堂は1249年に焼失し、現存するお堂は、1266年に再建されたものらしい。南北百二十メートルの堂の中に、階段状に前後十列、一列百体が整然と並ぶ姿は、誠に圧巻である。

その中、平安時代の像が、一二四体、他は鎌倉期のもので、いずれも慶派をはじめとする当時の一級の仏師が腕を振るったものである。その千体観音も一つひとつすばらしいものであるが、中央にまします千手観音の大きな丈六(3メートル余)の坐像は、実に優雅で品位があり、私のもっとも好きな仏像の一つである。作者は、運慶の長子の湛慶、寄木造りで金箔が貼られており、燦然と輝いて、どっしり坐ってそこにおられる。

観音菩薩はじつに慈悲深く、われわれが危難に陥った時など、その御名を唱えれば、たちどころに救済してくださるという。身を三十三に分け、相手と同じ姿となって、その者を導くともいう。誠に頼りになる仏であり霊験あらたかで、日本で最も信仰を集めている菩薩である。その限りない大悲のこころを千本の手が表し、実際の仏像では四十本の手に眼が書かれ、また宝珠、金剛杵、楊柳等々、除災招福等のためのさまざまな道具を持っている。詳しくは千手千眼十一面観音と言い、十一面観音の一つである。

以上、樹木と仏像の主題で思いつくままに書いてきたが、期せずして観音菩薩ばかりとなってしまった。もちろん、ありとあらゆる諸仏・諸尊に木造のものを見ることができる。
嵯峨・清涼寺の釈迦像、東山・永観堂の阿弥陀如来像(みかえり阿弥陀)、東寺の大日如来等立体曼荼羅、また奈良・中宮寺の如意輪観音像、東大寺の地蔵菩薩像、成田山の不動明王像、さらには奈良・興福寺の無著像・世親像等々、枚挙にいとまがない。定朝や快慶・運慶らが木材に基づく日本的な優美な仏像を完成させ、その技術と美意識とが後世に脈々と伝えられていった。その卓越した聖なる美は、木というぬくもりのある優しい素材との出会いの中にこそ生まれたものであろう。

執筆者のご紹介

竹村 牧男(たけむら まきお)

1948年東京都出身。1975年、東京大学大学院(印度哲学)博士課程中退。その後、文化庁宗務課専門職員、三重大学人文学部助教授、筑波大学助教授(哲学・思想学系)、同教授を歴任。2002年に東洋大学文学部教授に転じ、2009年9月、東洋大学学長に就任、2020年3月末に退職。専門領域は仏教学、宗教哲学。唯識思想で博士〔文学〕。筑波大学名誉教授、東洋大学名誉教授。主な著作に、『入門 哲学としての仏教』、『ブッディスト・エコロジー』、『空海の哲学』、『唯識・華厳・空海・西田』、ほか多数。
(2021年10月1日現在)

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