仏教と樹木のいのち 第1回「釈尊の樹木」


東洋大学名誉教授 竹村 牧男

第一回 釈尊の樹木

かつて一日だけ、仕事でニューデリーに泊まったことがあった。どこも観光はできなかったが、ニューデリー中心部を車で通った時、もちろん平地だが深い森におおわれていて、大変、感銘をうけたことであった。その時、インド人もまた、森に何か神聖なるものを感得しているのだろうと思った。

そのことと関係するかどうか定かではないが、仏教の開祖・釈尊の人生には、常に樹木が寄り添っていることは興味深い。まず、釈尊の誕生時である。伝承によれば、釈尊の母、マーヤー夫人は、ある樹木の枝をつかみつつ、釈尊を右脇の下から生んだという。場所はルンビニ―という、今はネパール南部の地である。それはあまりにも非科学的で事実とは言い難いであろうが、釈尊誕生の出来事の記述において、ある樹木が何らか象徴的な役割を担っていることは事実である。

今日のような、病院の無機的な一室での誕生ではなく、自然との豊かな交流に満たされている一角において、釈尊はこの世に生まれ、天上天下唯我独存と産声を高らかに挙げたのであった。その木は、サーラ樹(沙羅樹)との説もあるが、無憂樹であるともいう。無憂樹は、マメ科の植物であるとのことである。

釈尊が実際にいつ生まれたのか、歴史的に確定することは出来ないのかもしれない。しかし日本では、四月八日と伝承され、降誕会は花まつりといわれる。桜の花の満開のもとで、誕生仏に甘茶をかける行事も、楽しいものである。

一方、釈尊が亡くなったのは、沙羅樹林の二本の樹の間にしつらえられたベッドの上であった。『平家物語』に、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す」と謡われた通りである。沙羅樹は、日本では夏椿とも言われ、まさに花はぽとっと落ちる。釈尊の涅槃会は二月十五日だが、その時、時ならぬ花が咲いたという。その場所はクシナガラという、ベナレスから北一五〇キロほどの街であった。

古来、涅槃図なるものがある。右わきを下に横たわる釈尊の回りに、号泣するようなお弟子さんたちがたくさん集まっており、かなしげな眼つきのさまざまな動物たちもかけつけている絵である。ただ猫はそこにいない。日本の江戸時代、ひそかにそこに猫を描いた画師もいた。私が知っている現代のある涅槃図には、パンダまでもがかけつけている。ともあれ釈尊の表情は、どこまでも穏やかである。そこでよく対比されるのが十字架上のイエスである。同じ世界宗教の開祖ではあるが、その逝去時の様子は、やはり断然、釈尊のほうが平和的である。その涅槃寂静の世界を、沙羅双樹は象徴しているであろう。

さらに釈尊の人生において最大のハイライトである成道の場面にも、一本の大樹が登場する。クワ科イチジク属のピッパラ樹であり、のちに菩提樹と呼ばれる木である。

釈尊は結婚して子供をもうけたあと、出家して当時一級の宗教者について修行したが、満足できなかった。その後、一人、苦行に取り組むが、何も解決しなかった。そこで森の中で、ある木の陰で涼風を感じつつ静かに坐禅して、荒廃した身心の健康の回復をはかるのであった。この時、釈尊に乳粥を供養した少女が、スジャータである。釈尊はしだいに元気をとりもどしていった。そしてある時、思いがけなく覚りを開いたのであった。菩提樹は、その釈尊の覚りの象徴となったのである。場所はインド北東部のブッダガヤであり、ここには中心に大菩提寺があり、日本寺も(中国寺、ネパール寺なども)建立され、今も釈尊成道の秘跡をお守りしている。

仏陀とは、覚った者という意味である。ここに、仏教の淵源が誕生したのであった。では、覚りの内容とはどういうものであろうか。一般には、釈尊は縁起の理法を覚ったのだという。それはすべてのものが関係性の中にあることというより、われわれの生死の繰り返しは、根本的に無明(根源的無知)によるという究明のことである。いわゆる十二縁起の解明のことである。無明というものを見出したことは、きわめて深い人間存在の闇の自覚である。その覚りを、菩提樹は静かに見守っていたのであった。今日もそこには、獅子座が設けられていると言う。

この菩提樹は、インドボダイジュであり、中国や日本で菩提樹と呼ばれているシナノキ科の樹木とは全然、別ものらしい。またシューベルトの歌曲で有名なリンデンバウム(菩提樹)も、欧州シナノキでインドボダイジュとは異なるものという。インドボダイジュは、イチジク属の半落葉高木で、葉は先が細長く伸びたハート形をしており、若いうちは葉面に光沢がある、とのことである(『ゴータマ・ブッダ Ⅰ』、中村元選集〔決定版〕第11巻、春秋社)。

仏教はこの釈尊の覚りに始まるが、その覚りを釈尊は当初、人々に話すのをやめておこうと思ったと言う。あまりにも深い真理なので、人々がすぐにはわからないだろうと思ったのである。しかしここで、梵天というインド古来の神が釈尊に礼を尽くして説法を懇請したのであった。なぜなら、人々の苦悩を救ってほしいという一念があったからである。こうして、釈尊も説法を決意し、ここに覚者の教えが語られることになった。仏教とは、まさに仏陀の教えという意味なのであり、特に大乗仏教では、仏になる教えの意味でもある。

ともあれ、このように釈尊は樹木と切っても切れない関係にある。無憂樹・菩提樹・沙羅樹は、仏教の三大聖樹とも言うらしい。大地に根ざし、静かに枝を伸ばしてじっとしていて、清涼な緑陰をもたらしてくれる森や樹木の平和的なたたずまいは、釈尊を表現するのに最適であることがここにうかがわれるのである。

(つづく)

執筆者のご紹介

竹村 牧男(たけむら まきお)

1948年東京都出身。1975年、東京大学大学院(印度哲学)博士課程中退。その後、文化庁宗務課専門職員、三重大学人文学部助教授、筑波大学助教授(哲学・思想学系)、同教授を歴任。2002年に東洋大学文学部教授に転じ、2009年9月、東洋大学学長に就任、2020年3月末に退職。専門領域は仏教学、宗教哲学。唯識思想で博士〔文学〕。筑波大学名誉教授、東洋大学名誉教授。主な著作に、『入門 哲学としての仏教』、『ブッディスト・エコロジー』、『空海の哲学』、『唯識・華厳・空海・西田』、ほか多数。
(2021年10月1日現在)

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