三ツ星 建築の旅シリーズ Part2 第3回「フランスの歩き方1」


泉幸甫建築研究所 建築家  泉幸甫

3-フランスの歩き方1

日本人にとって石は冷たく硬いもの、というメージが強いのではないか。もちろん木より石は冷たく硬い。しかしヨーロッパ建築の石には、同じ石でもより人を柔らかく包み込む優しい印象がある。

日本には豊富な森林資源があることから、建築の一部分を除き、あえて硬い石と向き合う必要もなく、西洋ほどには石の文化が根付かなかったからだろう。
石の硬さのイメージを払拭し、その優しさを教えてくれたのはフランスにある数々のシトー派の修道院を中心に見て回った旅からである。そのようなフランスの第1回。

シトー派とは11世紀末にフランスの中部ディジョン近郊のシトーで起こった、戒律がとっても厳しいキリスト教の一派だ。宗教はある時期になると堕落することがあるようで、改革運動、つまり宗教改革が時々起こる。シトー派もそのような改革運動の中から生まれ、人里から離れた静寂な森の中の修道院で、祈りと労働に没頭し、禁欲的な生活を営むことになった。その厳しさは想像を絶するもので、あまりの厳しさで病に至り、30才くらいで死に至る者もいたらしい。

建物は十字架以外の装飾はほとんどなく、窓は小さくて薄暗く瞑想にふさわしい空間となっている。そのようなシトー派のことを知った時に、やはり戒律が厳しい禅宗曹洞宗の永平寺を思い出した。時代が中世であるのも似通っている。ちなみに日本でもこのシトー派の流れをくむ修道院がある。クッキーやソフトクリームでも知られる北海道のトラピスト修道院である。

このフランスの旅ではシトー派以外の宗派のキリスト教の建物も出てくるが、同じキリスト教でも宗派により、つまりその教義によって建物もかなり変わってくることも知って頂けたらと思う。

目次

フォントネーのシトー会修道院

シトー派発祥の地シトーから近いところにある「フォントネーのシトー会修道院」は現存するシトー派で最も古いと言われる建物。世界遺産にもなっていて、フランス中部のブルゴーニュ地方のディジョンから北西へ60㎞くらい行ったとことにある。フォントネ―の意はうれしいことに「泉」。生活に水は必須だから修道院の敷地を決める時は泉がわくところを探し求めた。

「フォントネーのシトー会修道院」の聖堂には、教会によくあるステンドグラスがなく、ポツンと祭壇が置かれているだけだった。世界遺産でもあり、何だか遺跡のように思えなくもなかったが、そもそもそういうものだったらしい。フォントネ―を歩いていると柱頭にわずかな装飾があるだけだが、アーチの優美な曲線と美しいプロポーション、それに石のテクスチャーだけで優しい空間を作っている。

アベイ・サン・フィリベール Abbaye Saint-Philibert de Tournus

ディジョンから南へ70~80㎞下った片田舎にある修道院。
何世紀にもわたって作られたから、さまざまな様式が混在した複雑な建物になっているが、不思議とまとまりのある建物だ。だからシトー派を表していると言えないが、僕はとっても好きな建物だ。身廊の天井高は18mもある。淡いグレーとピンクの石、そのテクスチャーが組み合わさって、柔らかな空間を作っている。

この修道院内を探索していたら何とも不思議な作りのところに入り込んでしまった。増改築を繰り返したからこのような空間が生まれたのだろう。ウンベルト エーコの小説「 薔薇の名前」に出てきそうな建物だ。

サント-マドレーヌ大聖堂 La Basilique de Vézelay

ディジョンから西へ約100km行ったところに、フランスで最も美しい村といわれるヴェズレーがあるが、その丘の上にこれもまた美しいサント-マドレーヌ大聖堂がある。この建物は装飾も多く華やかで、シトー派が否定したクリュニー派の修道院である。

ところで仏教でキリスト教の聖遺物に当たるものはお釈迦様のお骨で、スツーパや五重塔の下に壺に入れて埋める。つまり五重塔はお釈迦様のお墓。
キリスト教の聖遺物はさまざまにあって、キリストだけでなく聖人に取り上げられた人の骨や彼らにかかわる物も含む。それらを保存していると奇跡が起こったりして、その教会には信者が集まる。その中でも有名なのがイタリア、トリノの「聖骸布」で、イエス・キリストが磔にされて死んだ後、その遺体を包んだとされる布、ご存じの方も多いだろう。

このサント-マドレーヌには「マグダラのマリア」(フランス語でサント=マドレーヌ)の聖遺物があり、これがこの修道院の名を有名にした。またここは、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼の道のフランスにおける始点でもある。サンチャゴ・デ・コンポステーラの終点はスペインの西の端にあるサンチャゴで、サンチャゴには12使徒のひとりヤコブ(スペイン名・サンティアゴ)の墓がある。ここフランス中部からサンチャゴまで直線距離で1,300㎞はある。

僕がここを訪ねた時は、冬の寒い日だった。時期が違えばもっと華やかな聖堂だっただろうが、丘の上から見える枯野の先の、気の遠くなる程に遠いサンチャゴへの巡礼を思うと、中世の宗教の力は本当に凄いものだと思った。

正面扉上にはロマネスク彫刻の最高傑作「聖霊降臨」のタンパンがある。

ディジョン近くのヴェズレーやフォントネーなどのあるブルゴーニュ地方は、ワインや食事が美味しいところ。それだけでなく建築も美味しい!

執筆者のご紹介

泉 幸甫(いずみ こうすけ)

物はそれ自体で存在するのではない。それを取り巻く物たちとの関係性によって、物はいかようにも変化する。建築を構成するさまざまな物も同じように、それだけで存在するのではなく、その関係性によって、そのものの見え方、意味、機能は変化する。
だから、建築設計という行為は物自体を設計するのではなく、さまざまな物の関係性を設計すると言ってもいい。
そして、その関係性が自然で、バランスがよく、適切さを追求することができたときに、いい建物が生まれ、さらに建物の品性を生む。
しかし、それには決定的答えがあるわけではない。際限のない、追及があるのみ。
そんなことを思いながら設計という仕事を続けています。
公式WEBサイト 泉幸甫建築研究所

略歴

  • 1947年、熊本県生まれ
  • 1973年、日本大学大学院修士課程修了、千葉大学大学院博士課程を修了し博士(工学)
日本大学助手を経てアトリエRに勤務。1977年、泉幸甫建築研究所を設立、住宅、非住宅双方の設計に取り組む。1983年建築家集団「家づくりの会」設立メンバー、1989年から1997年まで代表を務める。2009年、次世代を担う若手建築家育成に向けて家づくりの会で「家づくり学校」を開設、校長として現在も育成活動に取り組んでいる。

1994~2007年、日本大学非常勤講師、2004~2006年、東京都立大学非常勤講師、2008年から日本大学研究所教授、2019年からは日本大学客員教授。2008年には2013年~16年、NPO木の建築フォラムが主催する「木の建築賞」審査委員長も歴任した。

主な受賞歴は「平塚の家」で1987年神奈川県建築コンクール優秀賞受賞、「Apartment 傳(でん)」で1999年東京建築賞最優秀賞受賞、2000年に日本仕上学会の学会作品賞・材料設計の追求に対する10周年記念賞、「Apartment 鶉(じゅん)」で2004年日本建築学会作品選奨受賞、「草加せんべいの庭」で2009年草加市町並み景観賞受賞、「桑名の家」で2012年三重県建築賞田村賞受賞。2014年には校長を務める「家づくり学校」が日本建築学会教育賞を受賞している。

主な著書は、作品集「建築家の心象風景1 泉幸甫」(風土社)、建築家が作る理想のマンション(講談社)、共著「実践的 家づくり学校 自分だけの武器を持て」(彰国社)、共著「日本の住宅をデザインする方法」(x-knowledge)、共著「住宅作家になるためのノート」(彰国社)。2021年2月には大作「住宅設計の考え方」(彰国社)を発刊、同書の発刊と合わせ、昨年度から「住宅設計の考え方」を読み解くと題し、連続講座を開催、今年度も5月から第二期として全7回の講座が開催される。

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