三ツ星 建築の旅シリーズ Part1 第6回「スリランカの歩き方」


泉幸甫建築研究所 建築家  泉幸甫

6―スリランカの歩き方

目次

スリランカへの旅

建築家、ジェフリー・バワ(Geoffrey Bawa 1919∼2003)、通称バワはスリランカの建築家。最近、彼が設計したリゾートホテルは雑誌などにもよく紹介され、建築の専門以外の人にも彼の名前は聞き及んで、コルビュジェやライトのように知られるようになった。
今回は彼の建築が愛される秘密を、スリランカという特定の地域で作った彼の建築を通して探ってみたい。

スリランカのバワを知ったのは何時の頃だったか。
最近は目にしなくなったが、建築の洋書専門の行商屋さんがいた。沢山の建築の洋書を入れたバックを肩に担いで設計事務所を回り、売って歩くのだ。軽のバンで回っている人もいたが、駐車違反になるので、多くは重い本を何冊も入れたバッグを肩にかけて回っていた。
そんな洋書屋さんは、どこかの設計事務所に2~3度行くと、そこの所長の好みの建築をキャッチし、所長が好きそうな建築の本を的確に差し出すようになる。だから、まだ僕が知らない未知の建築家の本を随分紹介してもらった。本屋だけど、最先端の建築の事情通だった。バワもまだよく知られていない頃、そのようにして知ることになった。
おそらく20~30年前のことだったか。

その頃のバワはまだモダンな印象が強く、その後の強烈な風土性の強さはそう感じられなかった。しかしその兆しはあった。特に、カンダラマホテル(Kandalama hotel)がそうで、今ほど樹木で覆われずにコンクリートがむき出しで、現在の印象とはかなり違っていたが、明らかに現代建築とは違う何かを秘めた、気になる建築だった。

行商さんからバワの本を買って十数年後、建築の会報誌を見ていたら、とても惹かれるいい感じの建物の写真が載っていた。設計者はあのカンダラマホテルを設計したバワだったのだが、そのバワとはすぐには結びつかなかった。ずっと人を引き付ける建築家になっていたのだ。僕の頭にバワがしっかりと居座ってしまった。しかもその写真はバワの建築を見るツアーの案内も兼ねていた。

バワにもいろんな建築がある。様々なビルディングタイプの建築をやっているから、バワと言われなければわからないような建物もあり、オフィスビルなどはそうだ。
それに若いころと晩年ではかなり違ってきている。違っているというか、晩年になるとバワがバワになってきている。それでも一直線に行ったわけではなく、いろんな試みをやって紆余曲折してバワはバワになったようだ。だから一人の建築をたくさん見るとその人の建築家として歩んできた歴史を見ることができ、勇気を与えてくれる。


バワが設計したオフィスビル バワ設計というと意外に思う人も多いと思う。しかし、よく見るとバワらしいところが随所に垣間見られる

バワを主に見る旅行だったので、沢山のバワ建築を見た。先に書いたように、バワでもいろんな建築があるが、その中でも多くの人々がバワの建築としてよく知っている、バワらしい建築と思うのは、先のカンダラマホテルとバワ自身の別荘でもあるルヌガンガ(Lunuganga)だろう。

Kandalama hotel

カンダラマホテルは建物全体が現在樹木に覆われ、圧倒的な迫力がある。僕が行商の本屋さんから買った本で見たコンクリートむき出しの写真に比べると、植物でコンクリートはほとんど見えず、これが同じ建物かと思われるくらいに違う。だから旅行者も覆っている樹木に気を取られ建築本体の外観がどうなっているか考えない。

しかし、覆われた樹木の間から本体を観察すると、PC(プレキャストコンクリート)を使用し、生産的合理性で作られていることがわかる。PCのピースで繊細な庇を作り、その先に樹木が建物から離れた位置で絡みつくようにしている。バワの建築は絵や彫刻、骨董などの芸術的要素、それに植栽に覆われているから、バワにこのような合理性を想像する人は少ないかもしれないが、やはり現代の建築家なのだ。


植物に覆われたカンダラマホテル

植物の奥にはPCで組み立てられた跳ね出しがある

バワの建築は他でもそうだが、自然の地形を生かす姿勢がある。人間の観念で組み立てた計画に合わせ、地形を強引にブルドーザーで変更するのではなく、自然の地形を受け入れる前提で建物を配置している。
だから地形を受け入れることで、微妙な上がり下がりが建物に変化を生み出すようなことが随所にみられる。しかしそのような単に自然の成り行きに任せて消極的に受け入れるだけではなく、自然の積極的な受け入れ方がバワにはあることを見逃してはならない。そこにバワの天才性がある。

例えば、ホテルのロビーから客室の棟に行くのに、たまたまあった障害となる岩山にトンネルを開けることで、次の世界へと気分の変換を図る。つまり岩山を崩して平地にしてその上に建物を建てて繋ぐのではなく、岩山の存在を受け入れるとともに、そこにトンネルを開けるのことで、劇的な空間の変化を生み出すという自然を積極的に生かす受け入れ方だ。

また、玄関から別の棟へは谷間を越さなければならないが、谷間を埋めて造成するのではなく、谷間の樹木は生えたまましに、その樹木の間の中空に渡り廊下を通すことで、廊下を渡ることそのものを楽しくし、そして気分の変換も図っている。
自然を生かすことに受け身でありながらも、人間の自然への積極的働き掛けを感じ取ることができる。


ロビーから客室棟へ向かう途中にある岩山を穿った通路

ロビーから客室棟へ向かうブリッジになった通路

自然を生かすということが、自然に対し単に受け身になるのではなく、自然を積極的に生かしているのである。そのように考えるとカンダラマホテルそのものが樹木に覆われた建物というより、樹木を積極的に生かした建物ともいえる。

Lunuganga

ルヌガンガはバワ自身の別荘。広大な敷地にいくつものの建物が分散している。現在はその分散した建物に、旅行客が宿泊できるようになっている。朝から晩までバワ漬けで、素晴らしい体験になる。
ルヌガンガにはたくさんの絵画や彫刻が飾られている。飾られているというより、設置されているといった方がいい。建物とそれらが一体となって空間を構成している。彫刻や絵画は建築の一部なのだ。バワにとって建築と芸術作品が連続的に存在している。


ルヌガンガの至る所に美術品があるが、建築と一体となって構成されている

またバワの建築には中間領域が多い。外部と壁や屋根で完全に仕切られているのではなく、屋根がなかったり、壁の一部がなかったりと、完全に戸外、完全に内部とは言えない空間だ。熱帯だからそのような場所が気持ちいいのは当たり前だが、内部と中間領域、中間領域と戸外が連続し、切れ目なく繋がっている。


ルヌガンガの中間領域のダイニング。夜はロウソク明かりの元、ディナーを頂く

ダイニング、リビングを外から見る

この建物はバワの弟の家の外部の居間。柱には古材が使われている 

ルヌガンガはもともとあった建物をリノベすることから始まった。また古材の柱や梁、古い家具をたくさん再利用しているから新築とも思えるし、古い建物とも思える。過去も現在も時間が同時に存在している。


古い窓や建具がたくさん使われている

建築と機器が一体化している。


右のトイレの便器はコンクリートに埋め込まれている。左の洗面器もそうだ。浴槽は建築化されている

いい建物と豪華な建物という言葉が両立することは少ない。
バワの建物はむしろ簡素だ。高価な材料はそう使われていない。床は研ぎ出しのモルタルを多用するし、壁、天井はコンクリートに塗装をしたり、むしろローコストの建物だ。しかしどういうわけか立派なのだ、金持ちを騙すような豪華なものは皆無だ。ただ要所要所に古材の柱や椅子を、ペンキを塗ったRCの壁や天井と対比的に使う。それらの柱や椅子は骨董と言おうと思えば言えるが、骨董商を通したバカ高いようなものではない。新しい建築と古いものを共存させることで、生き生きとした豊かな空間を作っている。

このようにバワ建築をまとめると次のような対概念が沢山レイヤーとなって重ねられて、奥深い建築となったといえる。

・合理性と美学
・受動と能動
・自然と人工
・内と外
・建築と機器
・過去と現在
・地域と世界

本来建築はこのような対概念が同時に共存し、積層したものであったが、近代建築になって分離した。近代建築は普遍性を志向したと言われるが、むしろバワ建築のようなものにこそ、普遍性に近づける努力があるのではないか。
バワの弟子と言っていいかわからないが、ケリー・ヒルがいる。また同じようにメキシコの巨匠バラガンにはリゴレッタがいる。バワとバラガンという先生に対し、弟子のケリー・ヒルとリゴレッタ。この先生と弟子の間には近代に対する態度の違いが感じられる。

次回より、アジアを離れ、ヨーロッパ、アフリカ、南北アメリカの旅へと移るが、このような視点を維持しながら次の旅へと移ります。
乞うご期待!

執筆者のご紹介

泉 幸甫(いずみ こうすけ)

物はそれ自体で存在するのではない。それを取り巻く物たちとの関係性によって、物はいかようにも変化する。建築を構成するさまざまな物も同じように、それだけで存在するのではなく、その関係性によって、そのものの見え方、意味、機能は変化する。
だから、建築設計という行為は物自体を設計するのではなく、さまざまな物の関係性を設計すると言ってもいい。
そして、その関係性が自然で、バランスがよく、適切さを追求することができたときに、いい建物が生まれ、さらに建物の品性を生む。
しかし、それには決定的答えがあるわけではない。際限のない、追及があるのみ。
そんなことを思いながら設計という仕事を続けています。
公式WEBサイト 泉幸甫建築研究所

略歴

  • 1947年、熊本県生まれ
  • 1973年、日本大学大学院修士課程修了、千葉大学大学院博士課程を修了し博士(工学)
日本大学助手を経てアトリエRに勤務。1977年、泉幸甫建築研究所を設立、住宅、非住宅双方の設計に取り組む。1983年建築家集団「家づくりの会」設立メンバー、1989年から1997年まで代表を務める。2009年、次世代を担う若手建築家育成に向けて家づくりの会で「家づくり学校」を開設、校長として現在も育成活動に取り組んでいる。

1994~2007年、日本大学非常勤講師、2004~2006年、東京都立大学非常勤講師、2008年から日本大学研究所教授、2019年からは日本大学客員教授。2008年には2013年~16年、NPO木の建築フォラムが主催する「木の建築賞」審査委員長も歴任した。

主な受賞歴は「平塚の家」で1987年神奈川県建築コンクール優秀賞受賞、「Apartment 傳(でん)」で1999年東京建築賞最優秀賞受賞、2000年に日本仕上学会の学会作品賞・材料設計の追求に対する10周年記念賞、「Apartment 鶉(じゅん)」で2004年日本建築学会作品選奨受賞、「草加せんべいの庭」で2009年草加市町並み景観賞受賞、「桑名の家」で2012年三重県建築賞田村賞受賞。2014年には校長を務める「家づくり学校」が日本建築学会教育賞を受賞している。

主な著書は、作品集「建築家の心象風景1 泉幸甫」(風土社)、建築家が作る理想のマンション(講談社)、共著「実践的 家づくり学校 自分だけの武器を持て」(彰国社)、共著「日本の住宅をデザインする方法」(x-knowledge)、共著「住宅作家になるためのノート」(彰国社)。2021年2月には大作「住宅設計の考え方」(彰国社)を発刊、同書の発刊と合わせ、昨年度から「住宅設計の考え方」を読み解くと題し、連続講座を開催、今年度も5月から第二期として全7回の講座が開催される。

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