泉幸甫建築研究所 建築家 泉幸甫
3-東アジアの歩き方
日本は古来、大陸から大きな影響を受けてきた、と小学生の頃よりずっと教わってきた。しかし実感としてそれがとらえられるようになったのは近隣アジアを、そしてヨーロッパを見るようになってからだ。ヨーロッパを見ることで初めてアジアを対比的に見ることができ、自分が大陸から強く影響を受けた漢字文化圏の人間であることを意識するようになった。
とはいえ、日本から大陸を見ると、一衣帯水と言われる関係ではあるが、遣隋使、遣唐使が命懸けで海を渡ったように厳然とした海峡がある。だから、日本は島国として一定の距離を持って付き合い続け、大陸の文化に圧倒されるのではなく、日本は日本で時には国風文化とも言われる独自の文化を形成し、明治以降は西欧の近代化の影響もあった。そのようなことがあり、基底部に大陸の影響があるにもかかわらず、そのことをややもすると忘れがちになることを中国や韓国を旅することで知らされる。
中国や韓国、まだ行ってないが北朝鮮、台湾、日本だが沖縄。これらの漢字文化圏の東アジアの国々、地域の建築を見て回ると、似ているようで似ていない、また似てないようで似ている、といった微妙な違いに気づかされる。そのことで日本の独自性を知らしめてもくれる。つまり東アジアへの旅は、実は我が身を振り返る旅でもあるのだ。
韓国
僕が最初に海外へ出たのは1985年37歳の時で韓国だった。1ドル200円台だった円がプラザ合意で一気に100円台に突入し、日本人が海外に出やすくなった頃だ。今では建築学科の学生達が海外の建物を見て歩くのは珍しくなくないが、僕にとっては隣の韓国でさえ、それは憧れの海外旅行だったのだ。
友人たちを誘ってツァーを組み、5泊6日位で韓国の民家を中心に見て回った。そのときの感動の大きさは今でもよく覚えている。
日本の民家と韓国の民家はよく似ていた。しかし似ているようで、似ていない。日本にも韓国にも障子はあるが、日本は引き違い障子が普通なのに対し韓国には少ないこと、障子紙は日本では部屋の外側に貼るが、韓国では部屋の内側に貼ること、日本の屋根が茅葺なのに対し、韓国では藁葺でもっこりとした形になっていること、同じく家に靴を脱いで上がるが、韓国の民家には玄関らしきものがないこと、日本も韓国も敷布団を敷き、掛け布団を掛けて寝るが、布団を折るのに日本では3つに、韓国では4つに折ること等々。この微妙な違いが相当新鮮だった。似ているがちょっと違うことでかえって、その違いが顕わになり、私たち自身を知ることになる。
ソウル 民族村
この初韓国旅行での発見は百済の都のあった公州(コンジュ)の宋山里古墳群の一つである武寧(ぶねい)王陵を訪ねた時のことだ。この王陵の内部、玄室は防弾ガラス越しに見ることが出来たが、内部は蓮華模様の付いた塼(セン 焼成した煉瓦)でトンネル状におおわれていているのが覗かれ、それはこれまでに見たことのない何か心に染み入るような深い美しさがあった。防弾ガラスの中に入り、もっと近くで見たいと思ったものだ。
武寧王陵の玄室
それからこの塼のことが忘れられず、自分が設計する建物に是非使ってみたいと思うようになった。しかし古代の焼き物であり、そう簡単に手に入るものではないと思っていたら、中国で焼かれていることを知り、北京郊外の工場を訪ね、価格や数量、納期など交渉し輸入寸前までいっていたが、ちょうどその後、天安門事件が起こり残念ながら輸入することはできなかった。
再度韓国に行きソウルの街を歩いていたら、韓国の建築家、金寿恨(キム・ス・グン ソウル・オリンピック・スタジアムの設計者 1986年死去)さんの設計事務所「空間」に使われていることを発見した。韓国在住の日本人の建築家で研究者、冨井正憲さんを介して「空間」の焼き物を焼いた人、金永琳さんを「空間」より紹介してもらった。
この金さんは日本でいうと人間国宝にあたる人で、深く朝鮮の美術を理解するのにこの上ない方で、この金さんとの交流はその後もずっと続いた。金さんに内部を是非見たいと思っていた武寧王陵の内部を始め、韓国のいろんな名所を案内してもらった。
その後、民家を訪ねて韓国へは十数回行ったが、お薦めの建築を絞りに絞って挙げると、
慶州月城良洞香壇(ヒャンダン)[慶尚北道慶州市]
慶州月城良洞香壇
慶州月城良洞香壇
安東河回(ハフェ)マウル[慶尚北道安東市]
安東河回を川向うから望む
屏山書院(ピョンサン・ソウォン)[慶尚北道安東市]
屏山書院
屏山書院
海印寺(ヘインサ)[慶尚南道陜川郡]
海印寺
昌徳宮 秘苑(チャンドックン・ビウォン) [ソウル特別市 鐘路区]
昌徳宮 秘苑
昌徳宮 秘苑
中国
中国は広い。僕が行ったのは4回だけ。広大な国土の中の、砂粒くらいにしかならないだろう。見ていない膨大な素晴らしい建築や街があるはずで、今は行きたいスポットをファイルしている状態。中国はコロナ禍だし、日本と仲良くないのが残念だ。
韓国は靴を脱いで室内に上がるが、中国ではほとんどが下足のまま。靴を脱いで部屋に入るのは日本、韓国だけではないが、世界を見てもそう多くはない。だからやはり韓国はまだ日本に近く、中国は少し遠い感じがする。
中国に最初に行ったのは初韓国のすぐ後の同じ年の1985年。改革開放政策による市場経済に移行する前で、まだ文革で疲弊していた。その後、行く度に猛烈に近代化が進み、その変化には驚くばかり。最初に行ったとき北京、上海でも高層ビルを見た記憶がない。上海の泊まった和平飯店が最も大きく見えたくらいだ。今では主要都市では何処も超高層がニョキニョキと乱立し、かつての面影はほとんどない。
しかし内陸部へ行くとかつての中国の風景が広がっている。中国は都市の超近代的な風景と内陸部の近代化が進んでいない風景が同時共存している。だから発展した沿岸の都市部から内陸部へ向かうと、近代化前後の一連の時間経過を逆に追体験することができる。その経験で面白かったのはもう20年前の上海から、浙江省,そして安徽省へと移動したときのことだ。すでに20年前に上海は高層ビルが立ちはだかっていた。
上海
それから西へと農村が広がり浙江省に至る。畑の中にその当時、万元戸と言われる人たちの、住宅にしてはかなり大きい家々が目立つようになった。どういうわけか窓のガラスは青や緑がかっている。そして屋根の上にはチベット寺院のような玉が乗っかっている。このあたりの裕福な人達のあこがれの住まいの形なのだろうか、思わずデズニーランド様式と命名した。
浙江省
そんな浙江省から山を越え安徽省に入ると、かつての中国らしい田舎の美しい風景を目にする。この旅で目指したのは世界遺産にもなっている清の時代の建物がたくさん残っている宏村(こうそん)。この宏村に入るには美しい橋を渡らなければならない。村は漆喰の白と屋根の黒で全体の調和がとれて美しい。
宏村
宏村
上海にもない、デズニーランド様式でもない美しさがここにはあった。これだよねーと思っても、これは近代化以前の、今やもう作ることのできない景観なのだ。日本だけでなくアジアの国々はこれと同じ問題を抱えている。自分たちはどうしたらいいのか、そのようなことを考えながら宏村の美しい村中を歩きまわり、最後に宏村での宿泊施設に着いた時のことだ。中国の歴史を表現しながらもこざっぱりとしたRCの建物があった。あー、ここに目指す方向があるのでは、と思った。
中国は現代と過去が極端に同時共存しているだけに、これからどこへ向かおうとしているのか考えさせられる。そしてこれは僕たち日本の、東アジアの問題でもあるのだ。
旅は空間の移動だけでなく時間の移動も体験させてくれる。
執筆者のご紹介
物はそれ自体で存在するのではない。それを取り巻く物たちとの関係性によって、物はいかようにも変化する。建築を構成するさまざまな物も同じように、それだけで存在するのではなく、その関係性によって、そのものの見え方、意味、機能は変化する。
だから、建築設計という行為は物自体を設計するのではなく、さまざまな物の関係性を設計すると言ってもいい。
そして、その関係性が自然で、バランスがよく、適切さを追求することができたときに、いい建物が生まれ、さらに建物の品性を生む。
しかし、それには決定的答えがあるわけではない。際限のない、追及があるのみ。
そんなことを思いながら設計という仕事を続けています。
公式WEBサイト 泉幸甫建築研究所
略歴
- 1947年、熊本県生まれ
- 1973年、日本大学大学院修士課程修了、千葉大学大学院博士課程を修了し博士(工学)
1994~2007年、日本大学非常勤講師、2004~2006年、東京都立大学非常勤講師、2008年から日本大学研究所教授、2019年からは日本大学客員教授。2008年には2013年~16年、NPO木の建築フォラムが主催する「木の建築賞」審査委員長も歴任した。
主な受賞歴は「平塚の家」で1987年神奈川県建築コンクール優秀賞受賞、「Apartment 傳(でん)」で1999年東京建築賞最優秀賞受賞、2000年に日本仕上学会の学会作品賞・材料設計の追求に対する10周年記念賞、「Apartment 鶉(じゅん)」で2004年日本建築学会作品選奨受賞、「草加せんべいの庭」で2009年草加市町並み景観賞受賞、「桑名の家」で2012年三重県建築賞田村賞受賞。2014年には校長を務める「家づくり学校」が日本建築学会教育賞を受賞している。
主な著書は、作品集「建築家の心象風景1 泉幸甫」(風土社)、建築家が作る理想のマンション(講談社)、共著「実践的 家づくり学校 自分だけの武器を持て」(彰国社)、共著「日本の住宅をデザインする方法」(x-knowledge)、共著「住宅作家になるためのノート」(彰国社)。2021年2月には大作「住宅設計の考え方」(彰国社)を発刊、同書の発刊と合わせ、昨年度から「住宅設計の考え方」を読み解くと題し、連続講座を開催、今年度も5月から第二期として全7回の講座が開催される。