桧大径木代替で全国の国宝級社寺建築に
[台桧 台湾に里帰りする]
2019年10月末、火災で首里城(沖縄県)の大半が焼失するという痛ましい出来事がありました。その後、関係閣僚会議基本方針で復元が決定し、特に復元に関する分類で特Aに該当する正殿は、基本的に建設当時の工法や建築資材を用いることになります。
前回の首里城復元では、台湾の天然木である台桧芯去り無地赤身材を中心に、約1000石の製材が調達され、台湾側は新義発木材股份公司が担当、台湾で原材料丸太を調達し、製材指導、納材まで受け持ったのは上野林業(東京都、現在は廃業)の故上野好平氏でした。台湾での木材検品には、沖縄開発庁や文化庁関係者、井波(富山県)の宮大工である山崎竹由氏(加賀藩指定八代目棟梁)も帯同したそうです。
再建される首里城にどのような木材が使われるのか注目されますが、構造材については桧系の樹種になると予想されます。
首里城正殿1、2階の通柱(7~8.5メートル長)には芯去り無地を中心とした台桧97本が使用され、420ミリ径の仕上がり寸法で、八角挽きを納材したそうです。多くの構造材で大断面材を必要としたことから日本国内での適材調達が難しく、台桧天然木が採用されました。
しかし、当時、既に台桧や紅桧天然木資源は台湾でも枯渇しており、この首里城建設を最後に、台桧等の天然木伐採は完全に停止されます。
日清戦争以後、日本が台湾を領有し、第二次世界大戦で敗戦するまで、日本人の手で森林開発が行われてきました。開発の開始は明治29年、台湾中部の阿里山に天然の大森林が発見され、林道、森林鉄道を敷設、索道には当時としては最新式のインクラインが導入されました。
日本の素材生産技術者が続々と渡台し、阿里山をはじめ、八仙山、太平山、木瓜山、鹿島大山など台湾全土で伐採が実施されました。上野氏が訪れた1988年には天然林がほとんど伐採しつくされ、巨大な索道櫓も朽ち果て、2000メートルの高地に巨木の根株累々としていたそうです。
台湾の森林開発が開始されて以降、台桧は日本の名だたる社寺、鳥居で用いられました。阿里山の樹齢3000年の大径木が橿原神宮の大鳥居に使われたのをはじめ、福岡の筥崎八幡宮、明治神宮、靖国神社、熱田神宮など多くの鳥居が台桧で建てられました。社寺建築でも、明治神宮、橿原神宮、筥崎八幡宮、春日大社、高野山金剛寺、東福寺、永平寺、相国寺、法隆寺金堂、京都御所、法輪寺三重塔、薬師寺金堂及び西堂など、国立劇場や千駄ヶ谷の能楽堂などにも用いられました。
いくつかの高名な社寺には、今も建物修復のための台桧原材料が在庫されています。
ただ、日本国内の台桧、紅桧丸太、半製品流通在庫はこの10年間ほどでほぼ払底した状態にあります。台桧の原産地である台湾国内でも台桧の流通在庫が払底し、日本に残っている在庫を軒並み買い戻していったためです。
先ごろ、長野県の工務店の倉庫に眠っていた長さ6.3メートル、元口径170センチ、末口径150センチの巨大台桧丸太が台湾に里帰りしました。推定樹齢は3000年以上とみられ、35年ほど前に台湾から輸入したもののようで、1000万円を大きく上回る価格で買い戻されました。
現在も関係者が販売店や工務店の倉庫に眠る台桧在庫を探し回っていますが、一時ほどの集荷は期待できなくなっており、新木場をはじめ、首都圏の台桧半製品在庫は底をついたというのが関係者の指摘です。
買い戻された台桧は、台湾国内で内装、建具等の建築材、社寺仏閣用材、彫刻用材などに使われるそうです。
台桧(ヒノキ科)は、日本の桧とほぼ同種で、使い方も同じですが、台湾開発当初、樹齢数千年の高樹齢大径木が大量に出材されたことから、大断面材を用いる明治期以降の大型木造建築等構造材として最も活躍しました。耐久性能が高く、戦艦大和の甲板用材としても利用されたそうです。
当社は1950年の会社設立後、早くから台湾のパートナーを通じ、他社に先駆け、台桧半製品の輸入販売を開始し、最盛期には全国の取引先にクボデラの刷り込みが入った半製品を販売させていただきました。
台桧貿易が消えた現在も、当時からの台湾のパートナーとの関係は緊密で様々な木材貿易を応援していただいております。