5-フランスの歩き方3 | 造作材・注文材・無垢材なら昭和20年創業のクボデラ株式会社へ。
建築家がお薦め! 三ツ星★★★建築の旅 建築家がお薦め! 三ツ星★★★建築の旅
泉幸甫建築研究所 建築家 泉幸甫
5-フランスの歩き方3

プロヴァンスの三姉妹

フランスに修道院は数あれど、特別に「プロバンスの三姉妹」と呼ばれる三つの修道院がある。
一つは前回紹介したル・トロネ修道院、それにシルヴァカーヌ修道院とセナンク修道院の三つ。
いずれもシトー派の修道院で、12世紀に作られた、つとに美しく有名な修道院である。
この三姉妹のあるプロヴァンスは自然も豊かだが、旅した5月はプロヴァンスの最も美しい、いい季節に巡り合わさった。
車中の4人は左右の風景を見ながら、もう有頂天だった。
右側を見ると、青々としてたわわな麦畑が五月の風で大きく波打つ。
ところどころにポツポツとポピーの花まで咲いている。
フランスは農業国だと言われるが、本当にそうだと実感できる。
その向こうの山は多分セザンヌが描いたサント·ヴィクトワール山か。


毛足の長い絨毯のような青々とした麦畑

そのような風景を見ながらシルヴァカーヌ修道院に着く。
シルヴァカーヌ修道院で僕が気に入ったのは大きな聖堂ではなく、小さなチャプター・ハウス(会議室)と呼ばれる一室。部屋の中央に二本のピラー(柱)がある。一つは渦巻ていて石の重さを感じさせせず、もう一本はとってもスリム。
そのピラーから、程よい大きさのふくよかなオジーヴ・ヴォールトと呼ばれるアーチが八方に伸びている。


シルヴァカーヌの集会室

シルヴァカーヌの集会室のピラー

シルバカーヌからセナンクへ行く途中、車が道をカーブすると突然山岳都市(ボニューBonnieux)が現れた。
近づくと何百年も経っていると思しき古い建物だが、まだ立派に使われている。
このあたりの建物はバカンスに来る人々によく使われているらしいとのこと。
電柱も看板も一つもない。建物と自然が一体になっている。
何か豊かだよね~!と思わず言葉がもれる。


ボニューBonnieux

さらに進んだ先のセナンク修道院です。
手前はラヴェンダー畑。

セナンクの地下室。
どういうわけか、上の聖堂もいいが、地下もいい。
エッジがきいた単純な造形だがどっしりとしている。

シトー派の修道院には回廊がつきものだが、もちろんトロネやシルヴァカーヌ、セナンクにもある。
この回廊を見比べるのが面白いことに気づいた。
この後にもいろいろな回廊が出てくるが、中庭に面して列柱があり、それぞれの修道院ごとに柱の形や並べ方に工夫を凝らしている。
柱が2列だったり、それがずれていたり、リズムが入っていたり、また回廊のコーナーの納め方がそれぞれ違っている。よく見ると列柱と列柱が直角にぶつかるコーナーの納め方は苦心しているようで、解決の仕方が修道院ごとに異なる。

セナンクの廻廊の列柱

まだ旅は前半だが、建物の配置計画や石のテクスチャー、その石が生み出す光など、少しずつ見え始めてきた。
見えてくればくるほど、ただただ、すごいな~、これすごいよ~と同行の建築家たちと声が弾む。

アヴィニョン、アルル、サン・ジル教会

「プロヴァンスの三姉妹」からもっと西へ。
「アヴィニョンの橋の上で♪」という歌で知られているアヴィニョンへ。
アヴィニョンではやはりロマネスク時代の教会などを見る。
さらにアルルではゴッホが入っていた精神病院も見る。
精神病院を見たのは、確かゴッホが描いた精神病院があったよなー、くらいの記憶があったから。
建築的な期待をしていたわけではないが、何となくついつい。
しかし、昨日見た素晴らしい「プロヴァンスの三姉妹」の後だけにガッカリ。
修道院をコンバージョンし、黄色いペンキを塗ったひどい建物で、見なきゃよかったと後悔。

ここにゴッホの絵があるわけではない。

やはり旅は、これっ!と思ったものを見るのがよい。
つぎにアルル近郊のサン・ジル教会(SAINT-GILLES)。
サン・ジルは立派な門構えのロマネスクの教会。
それに門の前にも立派な階段がある。
この階段に腰掛け、僕ら4名の御一行様は、フランスパンと水だけの昼食をとる。
この頃、超貧乏というわけでもなかったのだが、ロマネスクの堂々とした教会を背に、見上げると南仏の明るい空、階段に座って食べたパンの美味しかったこと。その美味しさはは30年後の今でも記憶に残っている。


サン・ジル教会前の石段でフランスパンの昼食をとった

入口の上にはやはりたくさんの図像が彫ってある。


サン・ジル教会の入口上部。入角に「弟子の足を洗うキリスト」がある

サン・マルタン・ド・ロンドル

モンペリエを通過し、サン・マルタン・ド・ロンドル教会(SAINT MARTIN DE LONDRES)へと向かう。


サン・マルタン・ド・ロンドル教会

サン・マルタン・ド・ロンドル教会は周りの建物で城壁のように囲っている

円形のアプスや軒のジャバラなどはロマネスクのおおらかな形態が残ったいい建物だが、周りに良くない部分が混在している。
この教会は200年くらい前に大改修をやったらしい。
帰ってきてわかったのだが、この建物のオリジナルな部分は、この後に見ることになるギレムの修道院の修道僧によって作られたものとか。
ギレムはこの旅で見た3本の指に入る素晴らしいロマネスク建築だったが、なるほど、ギレムと同じ人たちが作ったのなら、改修の前は相当よかったんだろうな、と想像できる建物だった。
いい建物を後世に改修し、ダメにしてしまうのは何時でも、何処でも同じことなのだろう。
作った者たちの思いを理解しない人間が今でも横行している。

このあたりの街で見た住宅です。
フランスだなー。

サン・ギレム・ル・デゼール修道院

サン・マルタン・ド・ロンドル教会から、サン・ギレム・ル・デゼール修道院(Saint-Guilhem-le-Désert)へ。
ギレムは修道院も圧巻だが、山奥の渓谷の村にあって美しい。
フランスでも有数の美しい村に数えられているらしく、まずはこの村のことから。


サン・ギレム・ル・デゼール修道院のある村

古い村で、スペインへのサンティアゴ・デ・コンポステラへ向かう巡礼者が立ち寄る聖地でもあった。
日本とは違い石造りだから、建物の寿命が格段に長く、中世の世界に迷い込んだようだ。
ギレムの教会の前には広場があり、プラタナスが植わり、カフェテラスの椅子が並べられている。
ちなみに、奥の建物の3階、右側が僕の泊った部屋。
1階はバール(飲み屋)。


サン・ギレム・ル・デゼール修道院前の僕らが泊まったプチホテル

リノベを繰り返し、時を経て生まれた玄関

街中を歩いていると、こんな仕上げがさり気なくある。

金物の堀商店のレバーハンドルにこんなのがあったような気がするが、勿論こちらが大元

いよいよギエムの修道院で、11~12世紀に建てられた建築。
こちらは裏側で、修道院全体の様子がよくわかる。


ギエムの修道院を裏側から見る

教会堂の内部です。

わずかに開口の周りに手を加えただけで、小手先を使ったようなところが微塵もない。
ただただ石を積んだだけ、のようにも見える。
だが、心揺さぶられる壁だ。
それは石の質感か、光か、石の積み方か、石工の気持ちが伝わってくるのか、そのいずれも、なのだろうが、この良さを何と表現したらいいのか、なかなか言葉が見つからない。
静謐、何の衒いもない、いやいや、そう簡単ではない。
ル・トロネから始まり、このあたりに至って、もうロマネスクの虜になってしまった。
あ~、何と美しきことか!
ロマネスクの美しさは造形的に上手下手というだけの単純な世界ではない。
宗教が関与しているからか、人を包み込む優しさ、安心して何かにゆだねることのでる懐の深さがあるからなのか。


サン・ギレム・ル・デゼール修道院の聖堂内部。十字架と二つの丸は壁に穴を開けただけ

サン・ギレム・ル・デゼール修道院のあるギレムで泊まったホテルは、プチホテルとよく呼ばれる。
何百年も経った古い建物を改修したものが多い。
建築史の専門家ではないから確かなことは言えないが、ロマネスクやルネッサンスの時代に遡ることができる建物ではないか。
そのような古い建物に宿泊できるとは最高に幸せだ。
日本で言えば、江戸、室町時代の建物に泊まっているようなもの。
外壁は古い石積み。

しかし、石造とは言え、床や屋根などの水平方向は木造でできている。
これは世界共通。
アーチの石積みで床を持たせることもあるが、多くは水平方向に木の梁を渡し、床や屋根を支える。
天井を見上げると古い黒々とした梁が渡してある。
壁は多くの場合、漆喰。
クロスのようなチャライ材料は使ってない。
ある意味、何もしてないと言えばそうなのだが、それがいい。

向かいの家が見える窓。

ベッドのシーツはきれいだし、シャワーもよく出る。
(たまにそうでないこともあるが…)
これで、当時の価格だが、1泊2,000~3,000円!
勿論、素泊まりだけど。
こういったことこそ豊かさ、じゃないのかな?
この旅は大まかな目的地を決めて出発したが、厳密なスケジュールはなく行き当たりばったり。
だからホテルも目的地に着き探すことになる。
フランスでは部屋を見せてもらい、気に入ったら宿泊を決めることができる。
このようなプチホテルを探しながらのロマネスクを訪ねる旅だった。

執筆者のご紹介

泉 幸甫(いずみ こうすけ)
泉 幸甫
物はそれ自体で存在するのではない。それを取り巻く物たちとの関係性によって、物はいかようにも変化する。建築を構成するさまざまな物も同じように、それだけで存在するのではなく、その関係性によって、そのものの見え方、意味、機能は変化する。 だから、建築設計という行為は物自体を設計するのではなく、さまざまな物の関係性を設計すると言ってもいい。 そして、その関係性が自然で、バランスがよく、適切さを追求することができたときに、いい建物が生まれ、さらに建物の品性を生む。 しかし、それには決定的答えがあるわけではない。際限のない、追及があるのみ。 そんなことを思いながら設計という仕事を続けています。
公式WEBサイト 泉幸甫建築研究所

略歴

  • 1947年、熊本県生まれ
  • 1973年、日本大学大学院修士課程修了、千葉大学大学院博士課程を修了し博士(工学)
日本大学助手を経てアトリエRに勤務。1977年、泉幸甫建築研究所を設立、住宅、非住宅双方の設計に取り組む。1983年建築家集団「家づくりの会」設立メンバー、1989年から1997年まで代表を務める。2009年、次世代を担う若手建築家育成に向けて家づくりの会で「家づくり学校」を開設、校長として現在も育成活動に取り組んでいる。

1994~2007年、日本大学非常勤講師、2004~2006年、東京都立大学非常勤講師、2008年から日本大学研究所教授、2019年からは日本大学客員教授。2008年には2013年~16年、NPO木の建築フォラムが主催する「木の建築賞」審査委員長も歴任した。

主な受賞歴は「平塚の家」で1987年神奈川県建築コンクール優秀賞受賞、「Apartment 傳(でん)」で1999年東京建築賞最優秀賞受賞、2000年に日本仕上学会の学会作品賞・材料設計の追求に対する10周年記念賞、「Apartment 鶉(じゅん)」で2004年日本建築学会作品選奨受賞、「草加せんべいの庭」で2009年草加市町並み景観賞受賞、「桑名の家」で2012年三重県建築賞田村賞受賞。2014年には校長を務める「家づくり学校」が日本建築学会教育賞を受賞している。

主な著書は、作品集「建築家の心象風景1 泉幸甫」(風土社)、建築家が作る理想のマンション(講談社)、共著「実践的 家づくり学校 自分だけの武器を持て」(彰国社)、共著「日本の住宅をデザインする方法」(x-knowledge)、共著「住宅作家になるためのノート」(彰国社)。2021年2月には大作「住宅設計の考え方」(彰国社)を発刊、同書の発刊と合わせ、昨年度から「住宅設計の考え方」を読み解くと題し、連続講座を開催、今年度も5月から第二期として全7回の講座が開催される。

泉 幸甫

バックナンバー